2025年03月22日02:43
2015年10月10日、AM10時!≫
カテゴリー │『再開』に向けて
今日も、龍山での秘密基地を振り返ろう。
まずは、秘密基地の”出入り口″となった、元「給食及び物品搬入口」である。
出入り口の扉前には、常に車輌を2台並べていた。




開館当初は、″てんとう虫″と″フロンテ″を並べてスタートした。
そうなのだ、秘密基地開館当初は、てんとう虫もフロンテも車検が残っており、誰も来ない秘密基地に一人で居てもしょうがないので、龍山周辺をよく走りに行ったっけ。
そうそう、2015年10月10日(大安)AM10時にオープンしたのだが、最初の一か月は一人も来館者が無かったもんな〜、、、。
このまま「来館者ゼロ❗️」で閉館か?と、真剣に思ったっけ。
このままではどうにもならん!と思ったおっさんは、一か八かで″静岡新聞社″の天竜支局へ秘密基地の資料を持って行き、「記事にしてくれないか❗️」とお願いをした。
「資料を置いといてください、記事になるようであればこちらから連絡をします。」と言われたので、秘密基地で2日3日そして1週間と待っていた。
しかし、静岡新聞社からは何の連絡も入らなかった。
『高齢者対象の″昭和の館″という内容では、記事にもならんのかぁ⁉️』と、もうお先真っ暗❗️となった。
汚い話で申し訳ないが、クソも出ないほど青ざめ、『何でこんなこと(秘密基地)やったんだろう』と自分を責め、毎夜眠れなかったもんなぁ〜。
その当時のことは、今でも鮮明に覚えている。
そして″ダメ元!″で、″中日新聞社″の″天竜通信部″へと資料を持ってお願いに行ったら、「昨夜遅くまで仕事をしていましたのでまだ寝ています、資料は渡します。」と奥さんから言われた。
おっさんは、人っ子一人来ない秘密基地へと向かい、『きっと中日新聞もダメだろうなぁ⁉️』と思いながら、一人でボ〜っとしていた。
『もうこれ以上は打つ手が無い!』と肩を落としていたおっさんだったが、神様は″おやじ達の秘密基地″を見捨ててはいなかった‼️★☆★
中日新聞天竜通信部を出て”おやじ達の秘密基地″に着き、1時間ちょっと経った時だった。
中日新聞の記者から電話が入り、『午後一番で伺います‼️』とのこと。・:*+.\(( °ω° ))/.:+
もう、舞い上がる(天にも昇る)ほど嬉しかったことを今でもハッキリと覚えている。((o(^∇^)o))
今日はここまでだ! ^_−☆^_−☆
まずは、秘密基地の”出入り口″となった、元「給食及び物品搬入口」である。
出入り口の扉前には、常に車輌を2台並べていた。




開館当初は、″てんとう虫″と″フロンテ″を並べてスタートした。
そうなのだ、秘密基地開館当初は、てんとう虫もフロンテも車検が残っており、誰も来ない秘密基地に一人で居てもしょうがないので、龍山周辺をよく走りに行ったっけ。
そうそう、2015年10月10日(大安)AM10時にオープンしたのだが、最初の一か月は一人も来館者が無かったもんな〜、、、。
このまま「来館者ゼロ❗️」で閉館か?と、真剣に思ったっけ。
このままではどうにもならん!と思ったおっさんは、一か八かで″静岡新聞社″の天竜支局へ秘密基地の資料を持って行き、「記事にしてくれないか❗️」とお願いをした。
「資料を置いといてください、記事になるようであればこちらから連絡をします。」と言われたので、秘密基地で2日3日そして1週間と待っていた。
しかし、静岡新聞社からは何の連絡も入らなかった。
『高齢者対象の″昭和の館″という内容では、記事にもならんのかぁ⁉️』と、もうお先真っ暗❗️となった。
汚い話で申し訳ないが、クソも出ないほど青ざめ、『何でこんなこと(秘密基地)やったんだろう』と自分を責め、毎夜眠れなかったもんなぁ〜。
その当時のことは、今でも鮮明に覚えている。
そして″ダメ元!″で、″中日新聞社″の″天竜通信部″へと資料を持ってお願いに行ったら、「昨夜遅くまで仕事をしていましたのでまだ寝ています、資料は渡します。」と奥さんから言われた。
おっさんは、人っ子一人来ない秘密基地へと向かい、『きっと中日新聞もダメだろうなぁ⁉️』と思いながら、一人でボ〜っとしていた。
『もうこれ以上は打つ手が無い!』と肩を落としていたおっさんだったが、神様は″おやじ達の秘密基地″を見捨ててはいなかった‼️★☆★
中日新聞天竜通信部を出て”おやじ達の秘密基地″に着き、1時間ちょっと経った時だった。
中日新聞の記者から電話が入り、『午後一番で伺います‼️』とのこと。・:*+.\(( °ω° ))/.:+
もう、舞い上がる(天にも昇る)ほど嬉しかったことを今でもハッキリと覚えている。((o(^∇^)o))
今日はここまでだ! ^_−☆^_−☆